「鬼滅の刃」という作品について思うところがあり書いておきます。否定的に感じる部分があるかもしれないので先に断っておくと、私自身は原画展に行ったくらいには好き(=だいぶ好き)です。
「鬼滅の刃」とは
「鬼滅の刃」について一応おさらいしておくと、週刊少年ジャンプで連載していた少年漫画です(完結)。
アニメ化、ゲーム化などはもとより、ありとあらゆるモノとコラボしているので見ない日はないんじゃないかというほど生活に浸透している実感があります。
大正時代の日本が舞台。とにかく優しい少年、炭治郎(たんじろう)が主人公。鬼(人間が主食)に家族を殺され、傷口に鬼の血を浴びて鬼になってしまった妹と共に鬼を退治する話です。大変な修行を乗り越えて鬼を倒す組織に入った炭治郎は、仲間や妹と共にどうにかこうにか鬼のラスボスを倒し平和な世の中を勝ち取ります。
その中で語られる家族や仲間との絆や、魅力的な各キャラクターの胸熱エピソードも人気の秘訣と思われます。
子供に見せてもいい作品なのか?
先ほど触れたように、なにしろ露出が多い作品です。アニメや原作漫画を追っていなくともどこかで見かけていて「あ、この衣装は…かまどたんじろう?か…」とわかったりします(私は完結してから読んだのでこの現象がありました)。
年長(6歳)の我が子にはテレビや動画を極力見せないようにしています。「鬼滅の刃」は見せたことがないものの、保育園の友達から話を聞いてくるらしく突然「キメツのネズコは力持ちなんだよ」などと言い出したりします。
ですが「子供に見せるのはどうなんだろう?」と思う部分があります。「あー、残酷な描写も多いもんね」という方もいるでしょうが、私としては残酷さは一番の問題ではないです。
善悪の二元論
じゃあ何が問題なのかというと、一番は「人間は正義、鬼は悪」という完全な二元論になっているものをそのまま子供に見せるのが恐ろしいこと。
鬼滅の世界だと、「復讐のために鬼を殺す」が正しい行いとみなされています。明治時代には確か「親の仇を殺しても罰せられない」という決まりがあったように思いますが、「今は令和、物語は大正」「これはフィクション」という違いは子供にはわからないということをこの本↓で学びました。
「優しすぎる」と言われるくらい優しい、正しさの権化のように描かれる主人公の炭治郎ですが、鬼相手なら憎しみを最大限にあらわにするわけです。諸悪の根源の、鬼のラスボスに対してはね。
すばらしい仲間たちも、鬼に対してはひどいことをたくさん言います。「早く死ね」「お前は生まれ変わらなくていいからね」みたいなことを。
子供は見たものをそのまま吸収します(吸収するだけで、そこに解釈の余地はないという研究結果があるそうです)。相手が悪い!と思ったらどんなに悪く言っても、どんな仕返しをしても、よいのでしょうか?
例えば相手が鬼でなくて人間同士でも、戦争を仕掛けた側が悪いのだろうか?いや悪いんだろうけど、その背景に何があるのかを理解する努力はやめてはならないと思うのです。
鬼は「主食が人間」だということで、たぶん他のものは食べられない設定です。私たち人間に、お米や小麦などの食べ物が「家族の仇!」とか「人間滅殺!」とか言ってきたらどう?食べるのやめる?気の毒だと思っても、生きるためにそれでも食べなきゃならないですよね。生きたいと思っているのは人間も鬼も食べ物も同じだと思うのですよ。
それを一方的に「鬼は悪」と決めつけて憎しみをぶつけるのはどうなんだろう?と私は思います。いえね、家族の仇を討ちたいと思うのは当然でしょうよ。ただ「悪は悪でしかない」って描かれ方ですよね、ラスボスに関しては。人間だった時のエピソードが描かれる鬼には感情移入したり情けをかけたりもしていましたが、ラスボスには容赦ないです。それをそのまま子供に受け取らせてしまってよいのでしょうか。
子供に見せるなら解説もつけたい
自分を高めて成長していく姿や、協力して敵を倒していくストーリーにはカタルシスがあります。絆を感じる場面もあり、笑いもあり、自分が読む漫画作品としては大好き!
しかしやはり子どもにそのまま受け取らせるのには抵抗があります。バトルものは何か理由があって戦うので、その原動力が憎しみであることもあるでしょうけども、その憎しみがどういうところから出発しているのか?どうして鬼が「悪いやつ」とされているのか?鬼には悪いことをしなければいけない事情があったんじゃないのか?ということも考えるように導いてあげたいな…と思う親心。
鬼滅に限らず、映像作品を見せる時には渡しっぱなしにしないで一緒に視聴すること、感想を言い合うことなどが大事じゃないかなと思います。






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